武豊騎手について調べていると、検索候補に「アドマイヤ」「確執」という言葉が出てきて、気になった人もいるのではないでしょうか。
武豊騎手といえば、日本競馬を代表する名騎手。
一方の「アドマイヤ」は、近藤利一氏が所有してきた競走馬につけられる冠名です。
かつて武豊騎手は、アドマイヤの馬にも数多く騎乗していました。
ところが、ある時期から両者の関係について「距離ができたのでは?」「確執があったのでは?」と噂されるようになります。
なぜ、武豊騎手とアドマイヤの間にそのような話が出るようになったのでしょうか。
この記事では、競馬に詳しくない人にもわかるように、武豊騎手とアドマイヤの関係、近藤利一氏との確執と言われた背景、そして現オーナー近藤旬子氏との現在の関係について整理していきます。
武豊騎手とアドマイヤの確執とは?
競馬界で大きな存在感を持っていた馬主・近藤利一氏。
「アドマイヤ」の冠名で知られる近藤氏の所有馬には、競馬史に名を残す名馬が数多くいます。
1998年の朝日杯3歳ステークス、現在の朝日杯フューチュリティステークスを制したアドマイヤコジーンでG1初制覇を飾ると、その後もアドマイヤベガ、アドマイヤグルーヴ、アドマイヤムーン、アドマイヤマーズなど、数々の名馬を送り出しました。
まさに「アドマイヤ軍団」と呼ぶにふさわしい存在でした。
そして、そのアドマイヤの名馬たちに数多く騎乗していたのが、武豊騎手です。
かつての武豊騎手と近藤利一氏の関係は、非常に良好だったといわれています。
祝勝会では、武豊騎手が近藤オーナーの頬にキスをするほど親しい場面もあり、競馬ファンの間でも「蜜月関係」として知られていました。

ところが、そんな関係にヒビが入ったきっかけとして語られているのが、2007年のアドマイヤムーンをめぐる一連の騎乗です。
まず、その前に行われた皐月賞では、武豊騎手が騎乗したアドマイヤオーラが人気を集めながらも敗戦。この騎乗に対して、近藤オーナーは不満を抱いていたといわれています。
そして、その不満が決定的になったとされるのが、香港で行われたクイーンエリザベス2世カップです。
武豊騎手が騎乗したアドマイヤムーンは、後方から追い込んだものの、惜しくも届かず3着に敗れました。
当時、アドマイヤムーンにはダーレーグループへの売却話が持ち上がっていたとされ、この敗戦が近藤オーナーの怒りを大きくしたともいわれています。
その結果、近藤オーナーが武豊騎手の騎乗を強く批判したとされ、武豊騎手側も「もう二度と乗らない」と告げた、という話が競馬ファンの間で広まっていきました。
もちろん、当事者同士がすべてを詳しく語っているわけではないため、どこまでが事実で、どこからが周囲の見方なのかは慎重に見る必要があります。
ただ、実際にその後、武豊騎手がアドマイヤの馬に騎乗する機会は大きく減りました。
このため、競馬ファンの間では「武豊騎手とアドマイヤの間には確執があったのではないか」と見られるようになったのです。
さらに、近藤利一氏にとっても、アドマイヤムーンの売却は大きな転機だったといわれています。
この売却をきっかけに、社台グループとの関係にも変化が生じ、以前のように有力馬を庭先取引で購入することが難しくなったと見る声もあります。
その影響もあってか、かつて圧倒的な存在感を見せていたアドマイヤ軍団は、徐々に成績面でも勢いを失っていきました。
つまり、武豊騎手とアドマイヤの確執といわれる話は、単なる騎手と馬主の不仲話ではありません。
アドマイヤオーラの敗戦、アドマイヤムーンの海外遠征、ダーレーグループへの売却、そして近藤利一氏と競馬界の人間関係。
いくつもの出来事が重なった結果、かつて蜜月だった武豊騎手とアドマイヤの関係は、大きく変わっていったのです。
和解、近藤利一氏の思いは
それから月日が流れた2017年。
セレクトセールで、1頭の超高額馬が落札されます。
落札価格は、なんと5億8000万円。
その馬を落札したのは、近藤利一オーナーでした。
のちに「アドマイヤビルゴ」と名付けられるこの馬の父は、ディープインパクト。
そして、そのディープインパクトの背中を誰よりも知っていたのが、武豊騎手です。
しかし、アドマイヤビルゴがデビューする前に、近藤利一オーナーは亡くなってしまいます。
その死の前、近藤オーナーは友道康夫調教師に、ある思いを託していたといわれています。
「アドマイヤビルゴには、武豊に乗ってほしい」
父ディープインパクトの背中を知っているのは、武豊騎手だから。
この言葉は、競馬ファンにとって非常に重いものだったのではないでしょうか。
かつて蜜月関係にあった武豊騎手と近藤利一オーナー。
しかし、アドマイヤムーンをめぐる一件以降、両者の関係には距離ができたと見られていました。
そんな中で、近藤オーナーが最後にアドマイヤビルゴの手綱を託したかった相手が、武豊騎手だったというのは、とても象徴的です。
そして2020年1月19日。
アドマイヤビルゴは、京都の新馬戦でデビューします。
その鞍上には、近藤オーナーの遺志を受けるように、武豊騎手の姿がありました。
結果は見事に勝利。
しかも、このレースの2着馬は、近藤利一氏の前妻である近藤英子氏の所有馬でした。
まるで競馬の神様が用意したかのような、すごい巡り合わせです。
ここからは私の推察になります。
近藤利一オーナーが最後に武豊騎手へアドマイヤビルゴを託した理由は、「父がディープインパクトだから」というだけでは、なかったのではないでしょうか。
もちろん、ディープインパクトの主戦騎手だった武豊騎手に乗ってほしいという理由は自然です。
しかし、それだけではなく、近藤オーナーの中には、どこかで武豊騎手と和解したい気持ちがあったのではないかと思ってしまいます。
かつては、祝勝会で武豊騎手が近藤オーナーの頬にキスをするほどの関係でした。
本当に憎しみだけが残っていたのなら、最後に大切な馬を託したいとは思わなかったはずです。
時間が経つにつれ、近藤オーナーの中にも「あの頃の関係に戻りたい」「もう一度、武豊に乗ってほしい」という思いが芽生えていたのではないでしょうか。
しかも、その思いを託した相手が、武豊騎手とも親交の深い友道調教師だったことも意味深です。
直接言葉にすることはできなくても、競馬の世界では、馬を託すことがひとつのメッセージになることがあります。
そう考えると、アドマイヤビルゴは単なる高額馬ではなく、近藤利一オーナーが最後に残した“和解への手紙”のような存在だったのかもしれません。
それにしても、この重すぎるほどの背景を背負った新馬戦で、きっちり勝たせる武豊騎手はやはりすごいです。
ただ勝っただけではありません。
近藤オーナーの遺志、アドマイヤの勝負服、ディープインパクトの血、そして長い年月を経た人間関係。
そのすべてを背負って、結果を出した。
だからこそ、アドマイヤビルゴの新馬戦は、単なる1勝以上の意味を持っていたのだと思います。

現オーナー近藤旬子氏との関係は
そして2025年6月1日。
東京競馬場で行われた目黒記念で、アドマイヤテラが勝利しました。
鞍上は、武豊騎手。
この勝利は、ただの重賞勝利ではありませんでした。
「アドマイヤ」の冠名を持つ馬で、武豊騎手が重賞を勝つのは、2007年のアドマイヤムーン以来、実に18年ぶりのことでした。
かつては近藤利一オーナーと蜜月関係にありながら、アドマイヤムーンをめぐる一件以降、距離ができたといわれてきた武豊騎手とアドマイヤ。
その長い時間を知っている競馬ファンにとって、アドマイヤの勝負服で武豊騎手が重賞を勝つ姿は、特別なものだったはずです。
しかも、この勝利は近藤旬子オーナーにとって、初めての重賞勝利でもありました。
近藤利一氏から受け継がれた「アドマイヤ」の勝負服。
その勝負服で、武豊騎手がアドマイヤテラを勝利へ導いた。
そう考えると、この目黒記念は、単なるひとつのレース結果では片づけられません。
アドマイヤビルゴで近藤利一オーナーの遺志を受け、そしてアドマイヤテラで近藤旬子オーナーに初重賞勝利を届ける。
長年「確執」と言われた時間を経て、武豊騎手はまたアドマイヤの勝負服で結果を出しました。
これは、改めてすごいことだと思います。
もちろん、過去の関係について、外から見ている私たちがすべてを知ることはできません。
本当に何があったのか。
どんな思いがあったのか。
それは当事者にしかわからない部分も多いでしょう。
ただ、競馬はときどき、言葉以上に美しい答えを見せてくれます。
一度は離れたように見えた縁が、時間を経て、また勝負服と手綱でつながる。
その結果が、アドマイヤテラの目黒記念勝利だったのではないでしょうか。
近藤利一オーナーが築いたアドマイヤの歴史。
近藤旬子オーナーが受け継いだ勝負服。
そして、その背中を再び勝利へ導いた武豊騎手。
これまでの流れを知ると、2025年の目黒記念は、ただ「アドマイヤテラが重賞を勝った」というだけではなく、長い時間を越えてひとつの縁が結び直されたレースのようにも感じます。
長年の確執と言われた関係の先で、近藤旬子オーナーに初重賞勝利まで届けてしまう武豊騎手。
やはり、改めてすごすぎます。
これからも、アドマイヤの勝負服をまとった武豊騎手が、どんな走りを見せてくれるのか。
競馬ファンとして、その活躍を楽しみに見守りたいと思います。


